塾長の日記
2021.01.26 現実のなかで夢を見よ。
こんにちは!
本日も当ブログへお越しいただき
ありがとうございます。
本日も比較的気温が上昇した新潟市内。
ようやく教室裏の
駐車場スペースを除雪することができました。
これで、来週から復帰する
スタッフの駐車場に困ることは無くなります!
まだまだ道路脇には雪が残っていますが
日が経つごとに道路状況が良くなっているので
路地の通行に気を遣う機会も減りました。
へとへとになった、あの大雪のような状況は
もうやってきませんように。。
とは思いますが…
開校して11シーズン目の冬。
同様の大雪は何度か経験しました。
体力無く、独りで教室運営を行っていた私は
ときに叫びながら(笑)
そしてご近所の、スプリンクラーがついた
駐車場設備を恨めしく思いながら(笑)
来年度は教室運営を継続できるのだろうか。
孤独や不安と闘いながら
除雪を行っていたことを思い出します。
でも今は…その辛さ、しんどさを
感じることは殆どないですね。
だって
雪は降るじゃないですか。
私は神様ではありませんから
地球をコントロールし
天候に逆らうことはできません。
そして…
独りじゃない。
必要と思ってくれる人や環境や組織があることを
自覚しているから。
私は、踏ん張れる。。
コロナ禍の現況も、同じようなもの。
人はどのような社会情勢であっても
生き抜かなければなりません。
何故、除雪をするのか?
それは、大雪が降っても
イデア学習館という場所を
必要としてくださる方々がいらしゃるからです。
はい。
御商売をなさっているご近所さん、
店舗や事業所さん。
御家庭だって同じですよね。
それでも自分という存在を
必要としてくれている人や環境、社会がある。
その思いに応えるために
最低限のライフラインの確保はしないといけない。
だから、大雪でも、交通事情が悪くても
私たちは約束を守る。そのために
何が有っても目的地へ向かおうとするのです。
それが社会じゃないんでしょうか。
それが社会で生きる人としての
使命なのではないでしょうか。
でも勤め人の頃は
そんなこと、考えもしませんでした。
独り教室を興して
それを痛いほど体験できたから
私はそれを自覚できて
ここまで来れたんじゃないかなって
思うんですよね。。
いまは目標を見失い、無気力かもしれない
生きることさえ疑問に感じているかもしれない君へ。
私も高校時代、親や学校に無断で登校をサボり
長期間無断欠席した経験があります。
公立高校の受験に失敗したこと
環境に適応できないことを親のせいにし
自分で何も決められない
責任を負えない自らの弱さを全て
環境のせいにしていました。
楽しいこと、やりたいことが見つかって
取り組むことができても
この社会に生を授かった以上
「しなければならないこと」
というのが必ず目前に現れてくる。
ルール、決まり事、規律規範、校則、法律…
それらが有って
集団、組織、社会に秩序が生まれるのです。
秩序があって
私たちは楽しみや喜びを享受できる。
言葉を変え表現するならば
「現実のなかで夢を見て欲しい。」
と、塾生に伝える機会が多くあります。
高校三年生の大学受験が良い例です。
切望していた志望校を受験するには
国公立大学の場合、先ず共通テストで
一定の成績を収めなくてはなりません。
それでも、二次試験の成績によっては
志望校に合格できるかどうかもわかりません。
選ぶのは、実は受験生ではなく
最終的に選ぶ側なのは
相手や組織、環境や社会。
それが、現実なのです。
もし誰もが羨む難関校に合格できても
その環境に適応できず苦しむかもしれない。
退学さえ考えるかもしれない。
成績優秀で学生生活を過ごしても
就職活動では企業に評価されず、
入社した組織で挫折を味わうかもしれない。
でもね、でも
それが、社会なのです。
そんな社会と今から
真正面がっぷりよつで向き合って
ときに無意味とも思える時間を過ごし
目前で起きる事象に対して日々懸命に生きることこそ
年齢や経験、地位を問わず
人が生きるために必要な心構えなのだと思います。
それが存分にできるのが
特に、若いうちなんですよ。。
それを存分に経験した人だけが
この社会で生きるための「適性」という器を広げ
自らの可能性や限界を自覚し
この社会で生きる意味を知ることができる。
そして
人生の幸福を享受し
成功を掴み取ることができるのではないかと
私は信じています。
それを、どれだけの大人が明確に
若い彼らに教え伝えることができるのか。。
100人にひとりもいないんじゃないかなって
思ってますけどね。。
…
本日も16時開講となります。
中学生の学年末考査が迫り混雑が予想されますので
ご配慮のうえ通塾をお願いいたします。
藤間